皆さん、こんにちは(^^)
今回は前回の予告通り、2002年3月31日(日曜日)に台湾で起きた大地震についてお話しします。
皆さんご存じかもしれませんが、台湾も日本と同じように地震大国で、大きな地震と言えば、1999年9月に台湾中部を中心に起きた大地震で、多くの犠牲者が出て、原子力発電所の影響などもあり数週間は台北では停電が起きたり、半導体工場のラインが一部ストップしたため、パソコン用のメモリの価格が一時期急騰するようなこともありました。
個人的にはこの地震の2週間前に台北を訪れたばかりで、更に、当時働いていた部署で台湾の半導体工場建設のために出張していた人も居たりと、いろいろな意味で印象深い出来事でした。
さて、私が留学していた2002年3月末は、ちょうど学生は春休みで、言語中心も1週間の休みがあり、休み明けに中間テストが行われる事になっておりました。
自分の場合、部屋で勉強するより、どこか外で勉強した方が集中してできる(部屋に居るとMTV TaiwanやCHannle[V]、はたまたTVBS-Gなどの誘惑に負けてしまう)ため、当時住んでいた、台北市松山区の民生東路5段にある「台北市松山区活動中心」の中にある図書館でテスト勉強をしておりました。
図書館は10階ぐらいのビルの5階にあり、そこで教科書を読んでいた時の事です。
台湾時間の午後2時52分に突然地震がやってきました。かなり強い地震で、日曜日なので図書館は結構人がいましたが、皆さん、机の下にさっと逃げ込みました。
しかし、書棚の方を見ると、次々と本が落ちていくのを間近で見て「あの下敷きになったらまずかったよなぁ〜」という余裕はなく、しかし「台北市立の施設だから、そう簡単に倒れることはないよね?」(ふと、当時の馬英九・台北市長の顔を思い出し)と、比較的冷静に対応していたのを今でも鮮明に覚えております。
地震がおさまり、再び勉強をはじめようかと思ったのですが、図書館は安全点検のため閉館となりました。書棚の本が落ちた以外にも、天井のパネルが数枚ずれているのを発見。これは仕方ないな...と思いながら、自分の部屋に帰りました。
ケーブルテレビのニュースチャンネルによると、どうやら震度は4ぐらい。
台北市内の被害はというと、当時はまだ「台北101」の建設中で、クレーンが落下して、クレーンを運転していた人など数名がお亡くなりになられました。
(以下、ウィキペディア「台北101」からの引用)
>工事中の事故
>2002年3月31日に台湾島北部でM7.1の大地震が発生。この揺れで、当時建築中
>だったこのビルの頂点(この時点で56階=約250メートルの高さまで棟上されて
>いた)に設置されていた作業用タワークレーンが、まっ逆さまになって地上に落下
>した。死者5名のほか、車が下敷きになるなどの被害が出た。また、この地震での
>死者はこの5人だけであると見られている。
地震が起きてから1時間経たないうちに、携帯から日本の実家に電話で「生存」の連絡を入れました。
その後、言語交換をしていた台湾人と友達と、高校時代の先輩から国際電話をいただきました。
日本のもう1人の友達は、自分の携帯電話にかけたものの、回線が混雑しているようでつながらなかった...と、その日のメールに書いてありました。
この日、古くからの友人や、中華ポップスつながりの友人に「生存連絡」メールをしましたが、地震の事より「1週間前に台湾で初カラオケ」や「サイン会で2ショット写真」ネタなどという、非常にあっけらかんとしたメールを送っておりました(^ ^;
あとは、私が当時参加していた、C-POPのメーリングリストでも「台北101のあたりでもイベントがあるので、大丈夫ですか?」というメッセージが流れ、生存メッセージを書くことになりました。確かに、台北市政府のあたりでもイベントをやるので、その時にそういった事が無くてよかったな...とは思いました。
日本人が台北101のクレーンの下敷きになったということになったら、それは大騒ぎですよね...。
というわけで、台湾での大地震の経験についてお話し致しました。
それでは、また(^^)/