皆さん、こんにちは(^^)/
前回までのブログを振り返ると、2002年2月23日に台湾に住むようになってから、4月23日までの丸2ヶ月の間に、有料コンサート1回、無料の大型コンサート1回、ライブハウス1回、それ以外に12回のサイン会レポートを書いています。
今回は、その「おさらい」と題しまして、当時の時代背景を書きたいと思います。
まだ「華流」という言葉がなかった頃なので、カテゴリー的には「中華ポップス」略して「C-POP」になるかと思います。
それだけWeb版の「台湾サイン会ざんまい!」( http://homepage3.nifty.com/2SC1815/cpz/ )の読者が、今よりは限られていたものの、Webのトップページに設置してあるカウンターも結構毎日変動するような日が続いていました。
また、まさか台湾ポップスだ好きだからといって、「台湾留学」をしてしまうという方も少ない時代でした。
確かに、中華圏の映画に関心を持って、中国語を勉強しようとした人はいましたが、国立政治大学に行っている日本人留学生の中でも、社会人経験者意外と少なく、大学との交換留学生や、当時も就職氷河期でしたので、大学を卒業してから留学している人達が多い時代でした。
サイン会に行っても、日本人の「同業者」に遭遇することは、あまりありませんでしたし、日本人がサイン会に参加しているというだけでも、新聞の娯楽欄に書かれる、マイナーなサイン会ではそれなりの「ネタ」になるような時代でした。
ちなみに「同業者出現!」の話や、「日本人が参加してTVに写ってしまった」人の話は、また別の機会にお話ししようかと思っております。
また、現在のユキビタス社会に近い環境とは違い、iPhoneのようなスマートフォンも、Web2.0で代表されるような「動画共有サイト」「ブログ」や「SNS」システムも発達していなかった時代で、どこまでIT化が計れるか?という点は、今と状況が違うかもしれません。
当時の筆者が使っていた機材は、211万画素のデジタルカメラ(10倍ズームレンズ搭載)と、DVテープのビデオカメラをセットで持ち歩き、ネット接続はダイヤルアップ回線だったので、Webページにレポートを掲載する際は、デジタルカメラで撮った写真を縮小したり、デジタルカメラでは撮れなかった画像をビデオカメラから画像化する作業に使っていました。動画がアップできたら面白いのに...と思っていた事は多数ありました。
ただ、サイン会の楽しさだけは、ある程度、伝えることができたのはよかったかな...と思っております。
以上、当時の時代背景について振り返ってみました。
それでは、また(^^)/
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