華流・C-POPS: 2010年5月アーカイブ


皆さん、こんにちは(^^)

今回は2002年4月28日に行なわれた、陳奕迅(イーソン・チャン/Eason)のサイン会レポートについてお話ししようかと思います。

サイン会は、日本ではゴールデンウィークという事で、留学前から某歌手のファンサイトを運営しているK氏が台湾に遊びにくるという事で、待ち合せを兼ねて、台北駅前の新光三越のサイン会会場という事になりました。

いまではサイン会などのイベントもベテランのK氏ですが、確かこの日がイベント参加が初めてという事と、台湾に来てから"日本人の中華ポップス好き"に会うのは初めてという事で、ある意味、歴史的な出会いでもあった訳です。

サイン会が始まる前に無事合流しましたが、ネットでやりとりしていただけあって、違和感なくコミュニケーションを取る事ができました。

さて、陳奕迅のサイン会の方は、香港の歌手である事と、既に他の日にサイン会が行なわれた事もあって、人も少なめということで、じっくりK氏に「台湾のサイン会のあれこれ」を説明しながらイベントを見る事ができました。

さて肝心な、イーソン・チャンの事についての話をすると、一言で言うと、生歌を間近で聞くと、非常に歌唱力があるな~と実感した内容でした。

サイン会の詳細については、下記のwebページを見てください。
http://homepage3.nifty.com/2SC1815/cpz/eason/index.html

さて、ここからはサイン会が終ってからの裏話。
夜から別の場所でイベントがあるので、それまでの間、K氏と時間をつぶす事になり、西門町に行きました。

ここで当時は、西門町にも随所にあった、アイドルグッツ専門店を物色する事に。

2、3軒周りましたが、中華明星ファンにとっては、宝の山状態。生写真が豊富なのはもちろんのこと、ポスターやシールなど、豊富な品揃えにお腹いっぱいの状態でした。

この日の夜のイベントにそなえて、2人で阿宗麺線をすすり、西門町をあとにしました。

4月28日の夜のイベントについては、次回お話しようかと思います。

それでは、また(^^)/


皆さん、こんにちは(^^)/

前回までのブログを振り返ると、2002年2月23日に台湾に住むようになってから、4月23日までの丸2ヶ月の間に、有料コンサート1回、無料の大型コンサート1回、ライブハウス1回、それ以外に12回のサイン会レポートを書いています。

今回は、その「おさらい」と題しまして、当時の時代背景を書きたいと思います。

まだ「華流」という言葉がなかった頃なので、カテゴリー的には「中華ポップス」略して「C-POP」になるかと思います。

それだけWeb版の「台湾サイン会ざんまい!」( http://homepage3.nifty.com/2SC1815/cpz/ )の読者が、今よりは限られていたものの、Webのトップページに設置してあるカウンターも結構毎日変動するような日が続いていました。

また、まさか台湾ポップスだ好きだからといって、「台湾留学」をしてしまうという方も少ない時代でした。

確かに、中華圏の映画に関心を持って、中国語を勉強しようとした人はいましたが、国立政治大学に行っている日本人留学生の中でも、社会人経験者意外と少なく、大学との交換留学生や、当時も就職氷河期でしたので、大学を卒業してから留学している人達が多い時代でした。

サイン会に行っても、日本人の「同業者」に遭遇することは、あまりありませんでしたし、日本人がサイン会に参加しているというだけでも、新聞の娯楽欄に書かれる、マイナーなサイン会ではそれなりの「ネタ」になるような時代でした。

ちなみに「同業者出現!」の話や、「日本人が参加してTVに写ってしまった」人の話は、また別の機会にお話ししようかと思っております。

また、現在のユキビタス社会に近い環境とは違い、iPhoneのようなスマートフォンも、Web2.0で代表されるような「動画共有サイト」「ブログ」や「SNS」システムも発達していなかった時代で、どこまでIT化が計れるか?という点は、今と状況が違うかもしれません。

当時の筆者が使っていた機材は、211万画素のデジタルカメラ(10倍ズームレンズ搭載)と、DVテープのビデオカメラをセットで持ち歩き、ネット接続はダイヤルアップ回線だったので、Webページにレポートを掲載する際は、デジタルカメラで撮った写真を縮小したり、デジタルカメラでは撮れなかった画像をビデオカメラから画像化する作業に使っていました。動画がアップできたら面白いのに...と思っていた事は多数ありました。

ただ、サイン会の楽しさだけは、ある程度、伝えることができたのはよかったかな...と思っております。

以上、当時の時代背景について振り返ってみました。
それでは、また(^^)/


皆さん、こんにちは(^^)

今回は、MRT新店線 台電大樓近くにあるライブハウス「河岸留言板」にて、2002月4月23日に行われた「楊老師&Frends Live」についてお話ししようかと思います。

実はこのライブのレポートは「台湾サイン会ざんまい」に未掲載で、ライブから丸8年経ってやっと書く事ができました。

これだけ書くと「楊老師って誰?」という事になりますが、簡単に説明してしまうと、台湾ポップの大御所であるシンガーソングライターの陳昇(ボビー・チャン/Bobby)と非常に親交のあるギタリストさんの誕生パーティーを兼ねたライブという事です。という訳で、主役は楊老師のギタープレイとおもいきや、陳昇ライブ&一部は新宝島楽団のライブになっていました。

このライブには、日本の劉若英(レネ・リュウ)のファンサイトの管理人さんの友人である、日本語のできる陳昇の台湾人ファンと、たまたまネットで知り合った、某テレビ局に勤めている知人の弟さんが、ボビー・チャンのスタジオで働いていると言うことで、なぜか2人からお誘いがかかっていたのです。個人的には、なにかにつけて陳昇とは縁があるようです。

ライブハウスはそれほど大きい場所ではないのですが、最初から満員。
後日、言語交換している台湾人の友達にライブのことを話すと「自分も行きたかった」という位、台湾人にとっては有名人だったりします。

ボビー・チャンのミュージックビデオや写真は以前から見ていたのですが、ハッキリいうと「少し顔がぽっちゃりしたおじさん」という感じですが、ライブ前のマイクチェックの時に初めてご本人を見ましたが「結構、男前!」なんですよ(^^)

これが世間で言う「テレビの方が太って見える」というやつなんでしょうか。

ライブは確か午後8時30分頃から始まりましたが、陳昇氏本人もアルコールを飲みながら歌っておりました。陳昇のお酒好きについては、業界内でも有名な話ですが、まさか飲みながら歌うとは思いませんでした(笑)

ちなみに、このライブの模様は、彼の「一朝醒来是歌星」著書に付属しているCD「My Destiny」に収録されています。

ボビー・チャンといえば、毎年「カウントダウンライブ」を行っていることで有名で、発売するとすぐに完売する位、人気があるのですが、やはりライブハウスで聞けるというのは、中華ポップスファンにとっては、非常に意味深いものがあります。

それも、自分がファンである、劉若英(レネ・リュウ)の師匠でもあり、台湾ポップスを語る上で、伍佰先生と並ぶくらいの大御所(ちなみにウーバイ氏とボビー氏は仲が良いことで知られている)のパフォーマンスを見ることができて、通常のコンサートよりも安い金額(NT$350程度)で、間近で生声が聞けるというのは、台湾に留学したからこそできた貴重な体験でした。

また、ファンの方から聞いたことによると、このライブでは、以前「宝島音楽隊」に所属していたボーカルの方が、久しぶりにボビーと歌ったということで、これもある意味貴重だったとのことです。

ライブはオーバーナイト状態になっていたのですが、熱心なボビーファンが帰りはじめたのが午前2時ぐらい。タクシーで帰ろうかと思っていたのですが、先程の台湾人・陳昇ファンの知人の車で家まで送ってもらいました。こういうところは、本当に台湾の人は親切だな...と思います。

ちなみに、この2ヶ月後の6月末に、ボビー・チャンがどこかのレストランで食事をしている際に、見知らぬ人物にガラス瓶で頭を殴られ、脳にダメージを受け重体になり、台湾のマスコミでも大きく取り上げられました。その数ヶ月後、陳昇は復帰するのですが、ケガの後遺症で右手が不自由になってしまいました。

復帰後、初めて行われたサイン会に参加したので、このブログでも紹介しようと思っていますが、その事件の前にライブを見ることができたのも、ある意味、非常に貴重な体験だったのかもしれません。

以上、楊老師&Freinds,陳昇(ボビー・チャン)ライブレポートでした。

それでは、また(^^)/

このアーカイブについて

このページには、2010年5月以降に書かれたブログ記事のうち華流・C-POPSカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブは華流・C-POPS: 2010年4月です。

次のアーカイブは華流・C-POPS: 2010年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。